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三隅研次『なみだ川』(1967)

※以下の文章、2008年5月に記す。
(物語の内容や結末についてかなり言及しています。鑑賞前には一切のストーリーを知りたくないという方は、お読みにならないほうが良いかと思います。)

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湯布院で観た映画 ― 『なみだ川』

主人公である姉のおしず(藤村志保)の性格設定は、のんきで(今で言うところの)天然ボケ。
憶えられない諺をしょっちゅう口にしちゃあ、それがことごとく間違っていても気にしない。
うぶで、てんから大らか。
和風美人の藤村さんは、耐え忍ぶ楚々とした女のイメージの役柄もあるが、存外こういう役のほうが地に近いのではと想像してしまう。

この性格設定がストーリー上かなり秀逸だと感じられるのは、実は彼女は貧乏所帯で苦労し、実家に金をせびりに来ては家族を苦しめる放蕩者の兄まで居る…ということによる。
つまり、まじめに考えて悩み始めたらシャレにならないくらい、背負っているものは大きいのである。
しかし、のんきであることは時として人を救う。
困難な状況で、どうにかこうにか日々を明るくやり過ごせるのは、おそらく主人公がのんきだからに他ならない。
考えてもしょうがないことは、考えないことだ。
主人公おしずの調子っぱずれの大らかさに、こちらもついそんなことを思う。

対する妹のおたか(若柳菊)はしっかり者。
しゃきしゃきした気性で家のことを心配する姿を見れば、こちらが実質的な姉ではある。
惚れあった男との縁談が持ち上がるも、家のこと、姉のこと、放蕩の兄のことなどを考えれば「(嫁に)行けるわけないじゃないの」と。
姉妹が隣り合って寝る蚊帳の中、姉が寝たと思いこみ、ふと抑えていた切ない心情を吐露する妹、そして本当はたぬき寝入りだった姉が妹に気付かれぬよう涙する場面には、こちらも思わずもらい泣きである。

とにかくも、ポンポン言い合いながらも、この姉妹は仲が良い。
ふたりでどこやらへお参りに行く場面、晴天の中を行楽気分で歩む両者の、えんじ色の着物と桃色の着物の色彩の対比(そして調和)の見事さ。
若い女性ふたりが画面に出てくるというだけで、なんと映画は華やかになることか。
(そしてかなり強めの色調でその華やかさを強調するのは、実際的には照明および撮影の技なのだろう。)

また、姉が秘かに思う男に「姉と会ってやってくれないか」と妹が頼みこむ場面では、「すわ、例えばこのふたりがデキてしまうような展開だとちとマズいぞう」と観客としては小さく警戒したのであるが(すみません。ぼんくらな客なもので…)、そこはうまくしたもの、妹のおたかとこの貞二郎という男とは、多少なりとも理に聡いという点で言えばきっと「同族」なのであり、なるほどこういう二人は引き合わないものであろうよ。

さらに目を向けるべきは、このなみだが出るほど(タイトルに引っかけたわけではないが)に素晴らしい美術。
日本橋の彫金師の家族が肩寄せて生きる家が、まさに目の前に現出している。
こざっぱりとした風通しの良さそうな造りの日本家屋。
格子戸、障子、襖、階段、土間、蚊帳…と、市井の人々の暮らしが生き生きと浮かび上がるようだ。
歴史大作などにおける重厚な美術も良いが、こういうものを難なく当たり前のように作り上げるところに、大映京都の美術の凄さを感じる。
美術としてガッツリ作りましたよという感じでなはく、「そこに○○がある」というのを意識させずに物語世界に連れて行くのが、真の意味での美術の仕事だろう。

細川俊之演ずる貞二郎は、ニヒル風味がキャー素敵てなところ(誰もが認める細川の美声も、それに一役買っている)。
でもただの色男ではなく、彼なりの生真面目さや諦念も裏にほのめかされている。
最初はおしずを冷たくあしらっていたものの、結局は彼女の「おたふく」的な情の深さにほだされ(原作は山本周五郎『おたふく物語』)、一足飛びにいきなり深い仲に。
でもコレ、遊び人として生きてきた細川の気持ちの表現としては、むしろ誠意のように思われなくもない。
「そこから始まる愛もある」ってやつである。

やくざな兄役の戸浦六宏の容貌には「若い頃から悪人顔だったんだなあ」とびっくりだが、そのどこまでもワルな兄が、おしずの覚悟を知り、最後の最後に「もう来ねえよ、あばよ」と家族の前からあっさり去っていく場面はひどく泣かせる。

でまた、やっとの思いで縁切りした兄を別れ際につい追ってしまう藤村の姿には、もうどうしようかと思うくらいに泣けて…。
心の奥底では通じ合うものを持ちつつも、互いの幸せのために別れていく家族。

ただ凡庸に何かを捉えるというのでなく、見せるべき要素をきちんとたたみかけて見せていくこと。
そんな演出が、決してお涙頂戴ではなくベタな人情を売りにしてもいないのに、自然な形で「泣ける」ということに繋がっているのだろう。

あ、最後になったがこれを忘れちゃいけない。
我らが藤原釜足は、腕はいいが寡黙で頑固な彫金師の父親を、出番少ないながらも好演なり。

あ、もひとつ最後に。
私は「大映」と聞けば、グランプリに輝く名作から末期のめちゃくちゃなダイニチ作品まで何でも観たいのであるが、中でも後期プログラム・ピクチャーから生まれたこの作品は、大映という会社が持っていた「良心」の部分がいかんなく発揮された、愛すべき1本だと確信する。


(追記)
本文ではあまり触れられなかったが、実は今作品で最も私に爪痕を残した(?)人物は、ズバリ戸浦六宏その人である。これと、やはり昨年観た中川信夫の牡丹灯籠(テレビ作品のあれです)とか、昨年再見した「情事の方程式」などで、今更大注目してます。フィルモグラフィー追っていきたい。ちなみに、話が飛ぶけど息子さんの書くブログもよく読んでますよ。


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※以上の文章、2008年5月に記す。


2007年8月に第32回湯布院映画祭・大映京都特集にて、三隅研次監督『なみだ川』を初鑑賞。
それに関して、2008年5月に(内容を思い出しながら)感想を書き、某SNSに当時アップしたもの。
さらにこのたび、内容を一部修正し、2016年1月に再掲いたします。

上記本文中「ふたりでどこやらへお参りに行く」というのは、後年に再見したところ、目黒のお不動さんへのお参りのシーンでした。
また同シーンでの着物の色を「えんじ色の着物と桃色の着物」と表記しましたが、これはもっと適切な、伝統色的な言い方があると思われますので、お着物に詳しい方がご覧になったら補足していただければと思います。

また上記追記中で戸浦六宏氏について言及したくだりで「昨年」と何度か書いているのは、2008年から見た「昨年」ですので、2007年のことを指しています。
振り返ると、おそらく「戸浦六宏さんがステキと気付いた元年」(?)あたりだったのかなあと。

2016年新春、フィルムセンターの三隅研次特集にて上映される『なみだ川』を楽しみにしております。


by hamanokani | 2016-01-11 12:13 | 映画の感想(件数僅少)
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